「延命治療」
ドキュメンタリーやドラマなどでも話題にのぼるものとして耳にしたことがある方も多いかもしれませんが、具体的にどういうものなのか?ということをご存じの方は意外と少ないもののひとつなのかもしれません。
《延命治療だけはやめてほしい》
なぜそのようなイメージを持っている方が多いのでしょうか?
本当に「延命治療」というものは望ましくないものなのでしょうか?
仮に〈望ましくないもの〉だとすると、なぜそのような治療があるのでしょうか?
そして、ご家族の方々が延命治療の判断を迫られた際に、後々まで後悔の念を引きずっていらっしゃる方も少なからずいらっしゃいます。
まずは
●「延命治療」とはどんなものなのか?
●どうして後悔してしまう方が生まれてしまうのか?
といったところを中心にわかりやすくご紹介させていただきます。
目 次
1)延命治療とは何か? | わかっているようでわからない延命治療
2)延命治療が必要になる状況とは? | いつ決断を迫られる?
3)まとめ
+α)参考情報(おすすめの書籍や参考サイトなど)
1)延命治療とは何か? | わかっているようでわからない延命治療
まず、「延命治療」というものの言葉そのものの意味としては『命を延ばす』ことです。

いわゆる病気の治療であっても、何も治療せずに放っておいてしまった場合、命が短くなってしまうことがありますので、その治療そのものも「延命治療」のひとつとも言えるわけです。
そのうえで、とても大切なことなので最初にお伝えしておきたいものとして、
《どう生きるか?》
ということが最も大切なものであり、「延命治療」というものもそのひとつの手段に過ぎないということを念頭に置いてこの後の内容をお読みいただければ幸いです。
さて、なぜ「延命治療」は望ましくないモノ、というイメージをお持ちの方が多いのでしょうか?
それは、一般的に「延命治療」という言葉が使われる場合、
●単に命を延ばすためだけの治療
(出典:「安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと」著:安藤泰至)
●本人のためにならないもの
●本人が(人間らしく)生きていくのを支えるためには役立たないもの
という意味が含まれており、いわゆる「治療」のために行われるものではない、本人にとっても周りの家族に方にとってもあまり望ましくないものと考えている方が多いためだといわれています。
つまり、《どう生きるか?》からある意味対極のイメージをお持ちの方が多いということです。
次に、そもそも「延命治療」というのは具体的にどのような行為を指すのか列挙させていただきますと主に以下のものが挙げられます。
●人工呼吸器
●人工透析
●人工栄養
ただし、ここで注意していただきたいのが、上記のものが始まったからと言っていわゆる「延命治療」であるとは限らないのです。
なぜか?
まず、明確にこの行為は「延命治療」である、という明確な定義は存在していないのです。
そして、「治療」の一環として行われる医療的行為が「延命治療」なのか、通常の「治療」の範囲のものなのかを判断することは、「医療」の立場だけでは判断できるものではなく、《本人の意思》無くして判断できるものではないといっても過言ではないのです。
また、「延命治療」のテーマにおいて「安楽死・尊厳死」のテーマは切っても切り離せないテーマです。
ここで最も重視されるもの・重視されるべきは《本人の意思》であり、それを無視した、もしくは確認できない状況で判断をすることの問題点が論点となっています。
つまり、「延命治療」の是非は具体的な医療的方法の種類云々よりも、《本人の意思》を必要なタイミングにおいてどのようにして伝えることができるかどうか、ということで大きく変わるということをまず知っておくべきポイントなのです。
あえて一言でまとめさせていただくならば、
延命治療という方法によって「生かされた」ではなく、「生きた!」と本人が思えるかどうかなのではないでしょうか?
2)延命治療が必要になる状況とは? | いつ決断を迫られる?
「延命治療」は終末期、つまり看取りのタイミングが近いときに判断を迫られることが多いものです。

しかし、ほとんどの場合それがいつ訪れるかはわかりません。
もちろん高齢の方の方が終末期を迎えることは多い傾向はありますが、若い方でもないとは限らないのです。
私自身、事故で頭蓋骨骨折の大けがをした際には、打ちどころが悪ければそのまま意識を取り戻さなかった可能性もあります。
もし、そのとき「延命治療」の判断を家族が迫られていたとしたら、とゾクッとしたことをいまでも思い出します。
《まさか自分が?》
そう思っていても起こる時には起こってしまう。
《ピンピンコロリ》
聞いたことがある方も多いかもしれませんね。
お亡くなりになる直前まで元気にお過ごしになっていて、ある日眠るように亡くなる。
そんな無くなり方を《ピンピンコロリ》、略してPPKなんて表現したりもします。
生きているうちは元気に暮らし、寿命の尽きたときに患うことなくころりと死にたいという願いを表す言葉。ローマ字表記の頭文字から、PPKと略す。
(出典:コトバンク)
ちなみにその対義語として、《ネンネンコロリ》、略してNNK。
『寝たきりで長く生きる』という意味で使われており、なんらかの治療や介護を受けている中で亡くなることを指します。
なお、「ピンピンコロリ」を希望される方は《6割以上》いらっしゃると言われています。


さて、多くの方が希望されるピンピンコロリ(PPK)ですが、そのような亡くなり方をされるのはどれくらいいらっしゃるのか?
厳密にピンピンコロリで亡くなった方の統計というものはありませんので、仮に「自宅で亡くなられた方」をピンピンコロリで亡くなった方としたとしても、たった《1割》くらいの方しか自宅で亡くなっている方はいないというのが実態なのです。
つまり、《6割以上》の方がピンピンコロリを希望しているものの、たった《1割》の方(実際はもっと少ないと推測される)しかその希望を叶えられていないともいえるのです。
残りの《9割》の方々は、病院や介護施設などでお亡くなりになる、なんらかの治療や介護を受けながら最後の時を迎えることになる、ということなのです。
そんな最期の時に備えるためにも「リビングウィル(事前指示書)」という方法があります。
いわゆる「もしもの時のための意思表示」の書面です。

国立長寿医療研究センター「終末期医療に関する事前指示書」の資料から引用してまとめさせていただきましたが、
■基本的な希望
①痛みや苦痛について
②終末期を迎える場所
■終末期の希望
①心肺蘇生
②人工呼吸器
③栄養や水分補給
■意思表示ができない場合の相談相手
という主に3つの項目がリビングウィル(事前指示書)としてチェックリストの項目となっております。

こちらは、厚生労働省のガイドラインより引用しているものですが、大事なポイントとしては、
《本人の意思が尊重される》
ということなのです。
そしてポイントがもうひとつ。

《文書として記録すること》
です。
あなたならば、突然こんな質問をされたらいかがでしょうか?
Q)あなたは「延命治療」を希望しますか?
正直なところ突然聞かれてもなかなか答えられないと思います。
そして、どのような状況を想定して答えるのかというのにもよって、希望する場合とそうではない場合というのも出てくることもあるかと思います。
Q)あなたは自分の意思を「文書」で伝えていますか?
なおさら難しくなりますね。
あなた自身が「難しい」と感じることはほかの方であっても「難しい」のです。
ある医師の方に「延命治療」のことについてお伺いした際にとても印象に残ったものとして、
『 意思決定は誰でも変わります。
だから、本人の意思は尊重するのはもちろんですが、
確認できないときにはご家族の判断が正しい!
と自信をもって判断していただいて構わないのです。 』
と。
意思表示ができていればそれはそれでよいですが、意思表示ができないときにいくら「正解」を探そうとしてもそれは誰もたどり着けるものではありません。
一番本人のことを思って判断されたことなのであれば、それが「正解」なのだと。
繰り返しになりますが、本人が《どう生きるか?》を真剣に考えたうえでの決断は、本人の意思であれ、家族の判断であれ、それが「正解」と考えていいのではないでしょうか?
『人が人として生きる時間』を延ばすための「延命治療」
このように考えてみると、「延命治療」が一方的に《悪者》扱いされる必要もない、と考えられるのではないでしょうか?
3)まとめ
人の意思は判断するときの状況や時期によって変わっていくものです。

そんな中終末期の判断、延命治療の判断も含めて、
●本人の意思を尊重すること
●それが叶わないときには家族の判断を尊重すること
それでいい、とおっしゃる方がいらしたおかげで「こうあるべき」から少し解放された想いがいたしました。
だからといって、何も手がかりを残さないまま意思表示ができなくなってしまい、家族に判断をさせてしまうことは非常に重荷であることには変わりありません。
文書で残すことはガイドラインとしては正しいやり方かもしれませんが、もしもの時のことを考えて少しでも話をしておくこと、それが手掛かりとなってくるのではないでしょうか?

ピンピンコロリは何の準備もなく亡くなってしまい、遺された家族に重い判断を残すことにもなりかねませんので、ネンネンコロリも決して悪いことではないとも言えますので、「準備期間」としてとらえていただくこともまたよいのではないでしょうか?

そんな言葉をまとめに代えさせていただければと存じます。
<参考情報>
●安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと(著:安藤 泰至)
●後悔しない死の迎え方(著:後閑 愛実)
●愛する人を喪うということ ~グリーフケアに導かれて~(著:井上 理香)
●いのちのバトン(著:日野原 重明 | 絵:いわさきちひろ)
●映画 いきたひ (監督:長谷川ひろ子)
【ひとことコメント】
愛する人の死と向き合う
思いがけずその場面に直面し、回復していく様子を撮影だったはずが、看取りの映像となっていった
愛する人の死から受け取ったものを多くの方に伝えていくために、映画となりました。
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